「理想」を演技する音楽
結論から提示しようと思う。
「歌唱力を練磨したいなら、演技する事を学ぶべき」ということだ。
全く関係ない話題な気もするが、自分はアニメが好きだ。最近は音楽に本格的に目を向け始めて少し二次元離れしてしまっている気がするが、それでも愛が尽きない。
ドラマにも同じ事が言えるが、作品を作品として確立させる為にキャストの渾身の演技は必須だ。分かり切った事である。
そして、端から演技を要する作品と音楽とは、需要という言葉など要らなくなる程に当然互いに存在し合う関係なわけだ(オープニングやエンディング、作中などに音楽が起用されない作品はほぼ無い)が、それ以上に密接で思想的な相互関係があるものだ、と日々思う。ちなみに最終回のエンディングほど虚無的でいてカタルシスのあるものは二つと無いと思う。
さて、これらのだだ長い前置き踏まえた上で結論を再び述べると、「歌唱力≒演技力である」という事だ。完全に自論ではあるが、案外、的外れな訳でもないようだ。というのも、実際「演技が達者な人物は歌も達者であり、対してあまり音程を正しく掴めなかったり、ピッチのズレが気になる人物は演技や台本音読も不得意」という見解がとても良く当てはまるからである。カラオケで歌い回しをした時などはそれぞれがどんな程度か良く分かる。楽しい。
歌唱は、ビブラートやしゃくり、こぶしなど、色々なテクニックを用いるととてもアトラクティブなものになる。だが元々そんな術を持ち合わせている訳もなく、人間は元々技術を会得している人間を真似てみる事でそのテクニックを獲得する。
つまり演技だ。
個人個人、自分が単純に好きだと感じた歌手は沢山いるだろう。その「一人の歌手」というキャラクターを演技、つまり自分の身体で再現しようとして、そのキャラクターと同じような技術を身につけられる。もちろんそれが、演技力(つまり自分以外の現象を再現する力)が高等な人物であるほど歌唱が上手い、という事だ。もっとも歌に限らずとも、再現力が高いので、スポーツや創作活動なども早めにコツを掴んで継続出来るタイプだと言える。万能型というやつだ。
かく言う自分もそんな一人である。それほど演技に長けている訳でもないと思うが、ある歌い手の、「島爺」という方を見本、且つ目標としてボイストレーニングなどを独学でしてきたため、中々安定した歌唱が出来るようになった。少しでもそんなセンスを神が分け与え給うて良かった...と安堵する。
これからも理想である、音楽の先輩を見本として演技をしていく意識でいようと思う。
歌が上手くなりたい、と感じる人は、何かの漫画でも手に取って、アフレコしてみるのも良い方法かもしれない。
時々楽し過ぎて止められなくので困っているのだが、いつか映像作品に出演してみたいという願望が創作願望の底で密かに沸き立っているのを見逃さなかった。
そろそろこの辺りで筆を置く事にする。
新しく購入した新刊でも読んでこよう。
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