表面上の明朗、隠し込まれた憂鬱
先日もアニメなど二次元作品に関する話をしたが、本日も同じ様に愛を語ろうと思う。
自分の好むものだけをつらつらと話す予定なので、苦手な方は読まずに他の記事へ飛んでみることを推奨したい(最終的には良い教訓の様なもので締めるつもりだ)。
作曲や作詞の一環として、と言えるだろうか。この人生は、どっぷりとエンターテイメント作品の沼にはまっている。
特にアニメやゲームが大好きだ。普段、ゲームプレイ三昧の日々(息抜きも大切だと思いたい)で、現在使用している携帯端末には、ソーシャルゲームが全部で12ソフトダウンロードしてある始末だ。ログインボーナスの周回がなんだか少し辛い今日この頃である。
ゲームとはやはりそのゲーム性やビジュアル、プレイに対する結果等をプレイヤーへの“報酬”とするコンテンツであるが、もう一つ浸るべき鑑賞点がある。「設定」だ。
作品名を出すと、CAPCOM社のストリートファイターシリーズや、任天堂社のリズム天国シリーズは、根幹となる軸はあるものの、ストーリーを支柱としてゲームが進んでいるイメージはない。
対して物語を魅せる事を大前提として創られたゲーム、例えばスクウェア・エニックスから発売された「ドラゴンクエストV」や、同社制作で国内屈指の鬱ゲーと呼ばれる「ドラッグオンドラグーン」並びに「NieRシリーズ」などは、今の時代になっても色褪せない衝撃と展開を見せてくれた。
とはいえ後者の例は同一社に偏ってしまったが、どちらのゲームコンセプトや制作会社が正しいなどと語る気はない。そのゲームにはそれが一番良いコンセプトというのがあるものだ。問題は、キャラクターの設定がどれ程掘り下げられているかだ。
「#コンパス」というゲームがある。
自分の発展途上の語彙力では難があるので、Wikipedia様に仕事をしてもらおうと思う。
との事だ。その通りである。
現状、どこまでもどこまでもプレイしているこのゲームだが、その限られたスパンでの戦略性やアクションの美麗さも素晴らしいのに加えて、キャラクターの設定が魅力の根幹を司っている印象がある。
ゲーム内の雰囲気や二次創作作品のほとんどの展開はとても明るく、日常やキャラ間のやり取りが滑稽なものとなっている。
しかし、キャラクターが裏で経験してきた過去、いわゆる“ バックボーン”が全て、凄惨なものはであったり、現在に影響を与え続けるであろう出来事を抱えていたりするのだ。
そんな中でも表面上では快活に、戦うヒーロー達というイメージではあるが(#コンパスの世界はメタ要素として扱われる事もあり、作中で「#コンパスの世界」と「現存する他の世界」はまた別に存在すると言う様な表現がある)、裏側で葛藤や苦悩がある上で、この #コンパスというステージに立っているのだと思うと、とても深く、また本当にその世界があるのではないか、という錯覚に陥る。
そういう設定の取り方が実に興味深く今はまり込んでいる訳だが、人間にもやはり同じことは言えると思う。
表ではしゃんとした人間を演じてはいても、内面に放り込んで隠蔽した自らの叫びを殺し続けて生きている人がいる。
裏を見られたくない、という人は多い。それで良いと思う。本当に心を置ける者には話してみよう、そういう心持ちでも良い。
だが問題はそれ以外の人間の目線と見方だ。
あるキャラクターの過去を閲覧する為に関連リンクをクリックする事と、何も知らずに対象人間の心情、その裏面に踏み込む事は同義であり、簡単だ。
しかしそこで確認した“バックボーン”を、人生という名のゲーム本編に持ち帰り、どう活かすかはプレイヤー次第だ。それを踏まえた上でキャラクターと関わるか、表面上の明朗さだけを楽しむか。
自分はこれから更に深く、密に人間と関わりを持っていこうと思う。
こういった作品は色々な感性を刺激し、様々な教訓を与えてくれるのだ。
さて、この辺りで筆を置こう。
良い感じにまとめられただろうか。
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